3月のライオン15巻のコマから。
主人公の桐山零のつぶやき。
対局相手の田中太一郎の2人の子どもが病弱で、その子ども2人を支えながらずっと棋士として戦ってきたことを知ったときの話。
他人の荷物も持とうとすること自体が強さに繋がるよねって思う。#3月のライオン のコマ https://t.co/w9NxzTsMC1 pic.twitter.com/0ovWp0dl6f
— みっきぃ?? (@iwtpg) May 26, 2021
―そしてまたぼくは気付くんだ
3月のライオン 15巻
「自分」の事ばかり考えていて
いっぱいいっぱいになっている「自分」に
自分の小さな荷物を「これはすごく重たい」って信じ切って
「自分はこんなにがんばっている」っていう呪文を
お守りみたいに繰り返して…
そして
「自分以外の重さ」をも背負っているがんばって来た人の姿を見つけ
「俺の荷物は100%自分の荷物だけじゃん!!」しかも
「でかいと信じてたのに超小さいじゃん」と気付いて恥ずかしくなり
このコマを見たときに『ノミの法則』の話を思い出しました。
ノミっていうのは自分の体の数倍もジャンプできるけれども、蓋の付いた瓶に入れておくと蓋の高さまでしか自分は飛べないと思い込んでしまって、いざ瓶の外に出してもやっぱり蓋の高さまでしか飛べないっていう話。
でも、普通にジャンプできるノミと一緒にジャンプさせてあげると「あれ?自分もっとジャンプできるやん?」と言わんばかりにジャンプ力が普通に戻るという。
つまり、自分の限界って思い込みで決まっている部分があるよっていう話なんですね。
この桐山零にしてみても、まず自分のことを精一杯やろうとはしていたし、その結果として他の人がどんな荷物を持っているかに気付けたんだと思うんですね。
その自分の荷物が小さいと感じ取れたこと自体が成長の証ですし、もしかすると人によっては他人の荷物の量を見ても「それでも自分はこのサイズの荷物が限界!」って割り切っちゃう人もいるはずです。
『「でかいと信じてたのに超小さいじゃん」と気付いて恥ずかしくなり』って思うってことは、他人の姿を見て自分を成長させるきっかけを桐山くんは掴めたってことですよね。
『ノミの法則』の話のように、自分はもっと荷物が持てるんじゃないかってことに気付けたってことだと思います。
桐山くんは田中太一郎が一人ですごい荷物を持っているように想像していますけど、でもこれって夫婦で力を合わせて荷物を持っているんですよね実は。
夫婦って時には交代、交代で荷物を持ったりとか、それぞれ持ちやすい荷物を分けて持ったりとか。
一人と違って時には励ましあったりとか、子どもの笑顔に癒されて力が出たりとか。
そういう意味では桐山くんは一人で戦っているし、田中太一郎さんは家族で力を合わせながら前に進んでいるという意味で、同じものを運ぶという作業でも考え方が違うのかなと思います。
「自分のため」よりも「誰かのために」のほうが不思議と力がでますしね。
ただ、3月のライオンを15巻まで読まれた方なら分かると思うんですけど、桐山くんも誰かのために戦ってきたし、荷物だって運んできたよなって思うんです。
田中太一郎さんほど長い年月、運び続けてきたわけではないかもしれないけど、桐山君だって「自分以外の重さ」を背負い続てきたと思うんですよね。
生まれたばかりのころは家族に荷物を持ってもらい、年齢を重ねると今度はその荷物を自分が持ち、それから歳を取るにつれて誰かの荷物を背負いながら進んでいく。
自分の荷物が小さいと思った時点で、桐山くんが大人の階段を踏み始めたなと感じたシーンでした。
コメントを残す