2巻までは読んでいた押見修造『惡の華』
たまたまKindleでポイントアップをやっていたので全巻まとめ読みしました。
2巻まで読んだ時の感想が『中学生の中二病って呼ばれる性への感情を表現したノスタルジックなエロさのある作品』ぐらいにしか思ってませんでした。
でも先日『ぼくは麻里の中』を読んで、この作者の闇がすごいと思って、なおかつ自分の闇の表現力がすごいと思ったんです。
もしかして『惡の華』も最後まで読んだらエゲツないのでは?と思って1、2巻の読み返しを含めて最後まで読んだら、ものすごい闇の衝撃を感じたわけです。
これから2周目を読もうと思うんですけど、ひとまず1周目のこの感想を書きたいという気持ちを乗せて、この漫画の感想や考察を書きます。
誰もが持っている主人公春日高男のような性への興味
主人公の春日高男は本が好きな中学生。
どのクラスにも一人はいる頭が良くて可愛い、そして清楚さのあるクラスメイト佐伯奈々子が好きでした。
たまたま本を忘れて教室に戻ったところ、佐伯の体操服が教室に残っていて、つい勢いで手に取ってしまう。
その手に取った瞬間、廊下に誰かいる気配を感じて思わず体操服を持ったまま逃げてしまうわけです。
もちろんクラスは盗難があったことで大問題。
バレることを恐れる春日ですが、クラスメイトの仲村佐和に見られていて、それをネタに何もかもさらけ出さされるような行動を取らされるわけです。
中学生の性への衝動を全部さらけ出したらどうなるかの「中学生編」
惡の華の1巻から6巻は中学生編。
春日が持つ心の闇は仲村によって暴かれていくのですが、この闇っていうのは本来みんなが持っているものだと思うんです。
例えばクラスの女子の体操服を盗んでしまうシーンですけど、小学生の頃に比べて中学生編って性への意識が具体的になってきます。
性交渉という存在をみんなが知るころですし、そうなると身につけてる衣類にも意識が行く。
クラスのあの子ともし付き合えたらエッチなことができるのかとか、エッチしたらこんなんだろうとかもう妄想が妄想を呼んでどんどん広がって行くころです。
でも、だからといって女の子に告白できる人は少ないし、衣類に興味があってもどうこうしようとは思わない。思えない。
行動を起こすと相手に嫌われる可能性があるし、相手に嫌われると友達にも変な話題を作られるし、衣類に興味があるなんて口にしたら変態扱いです。
そら言えないですし、行動もできないですよ。
でもこの漫画では仲村という存在が春日のその衝動を行動に移させてしまう。
だから春日は問題を起こしてしまう。
普通は行動を起こさない。起こした後、大変なことが起こるのを分かっているから。
だからこの漫画は「もし中学生の衝動を実際に行動をしてみたらどうなるか」を表現しているのだと思ったわけです。
これは作者の押見修造さんが漫画という世界の中でifの世界を表現してみたかったのかもしれません。
優等生の女の子が持つ闇も作品内で表現した
僕もそうですけどクラスに1人は憧れの女子っていましたよね。
勉強できる、可愛い、だから自分には手の届かない存在。
「ぼくは麻里の中」という作品で麻里という優等生キャラが出てくるわけですが、きっと押見修造さんは優等生キャラが持つ闇を強く意識しています。
なのでこの佐伯というキャラも仲村によって闇を引き出され、最終的には本来の自分が引き出されていきます。
さっきから闇って表現していますけど、闇だから悪いというか、闇っていうのは自分が持つ本来の衝動みたいなものなんですよね。
仲村にとって自分を表す衝動を隠している周りの人間が異質な存在に見えて仕方なかったんだと思います。
だからこそ春日はだけじゃなくて佐伯の衝動も引っ張り出したんだと思います。
もしも自分の衝動を表に出したらどうなるかというifの物語
僕はこの作品をそう捉えています。
ただ、それは中学生編まで。
7巻から11巻は高校生編の入りますが、高校生になった主人公はまた新たな葛藤に入って行くわけです。
その年齢に伴う新たな葛藤を1作品の中で見せているのがすばらしい。
そして自分自身の中学生時代、高校生時代の悩みや葛藤を思い出させてくれる怖さのある漫画なんです。
初回の感想と考察はこのへんで。
高校生編の話は2週目を読んでから書きたいと思います。
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